今日外を歩いてて
私本当に自分のことしか考えてなかったな
と実感した
「うつ病の人は自分のことしか考えてない」っていうよくいうやつ
自分はやせすぎだとかブスだとか、人からどう見られてるかしか考えてない証拠だったわ…
社会情勢とか世の困ってる人のこととか考えようとしても考えられなかったし、その精神状態で人に役に立とうとする発想がわいてくるわけがない
( ˙-˙ )
神経症や摂食障害になる人って本当はすごいエネルギーを持ってるというけど、実はその心当たりはなんとなくある
まずあの甘いものへの執着
どんなに体が辛くてもおかしを買いに行く、おかしを作る、おかしを食べる、あのエネルギーは凄まじいなと自分でも感じていた
強烈な嫉妬心、独占欲、競争心とか
小一時間泣き続けたりとか
劣等感を克服するため、病気を治すために強迫的になったりとか
こんだけネガティブなことに力使えるなら他のことで発揮できるだろ、とよく思っていた
実際私はやるときはとんでもない勢いでやったりする
私は自分でできないことに特に強いコンプレックスを感じてるのが、運転と仕事だった
自分で移動できない
自分で稼げない
ということが一番情けなく、申し訳なく感じる
でも、親にとにかくよくやってもらったな、と思うことが送迎だったことに気づいた
車で送り迎えをしてもらうことが、小さい頃から「甘えられてる」と感じられることだったのかもしれない
あと何か買ってもらうこと、お金を出してもらうこと
これも小さい頃からお金を出してもらうことが申し訳なくて、自分からねだったりできなかったからこそうれしかった気がする
それが逆に自分を「できないからしてほしい私」にしてしまったのかもしれない
甘えたくて、できない自分でいようとした
たぶん人にやってもらって申し訳ないことって実はできるのにできないことなんじゃないかと思う
「自分にはできない」とわかってることは、案外できる人に頼めるものだと思う
私は本当は(ある程度)運転もできるし稼ぐ力もあるんだろうな、と思い始めた