爆睡した日の夜、大きめなフラッシュバックがあって死にたくなった
薬を飲み始めてから実家の夢を見ることが多くて、その夜は実家に居場所がないことを強く感じる夢を見て次の日かなり泣いた
それからは薬を飲んでも爆睡することはなくなったので、あれはフラッシュバック&うつの前触れだったんだなあと思う
ただイライラというか怒りは蘇ってきている
私の母親は、私が成長するとき、女らしくなるとき、大学入学や結婚などめでたいことの節目の度に私を貶した
嫌味や悪口を言って私を落としてきた
そして母だけでなくそういう人が他にも何にもいた
私の活躍を見るなり攻撃してくる人、縁を切ってきた人、嫌な態度をとったり粗探しをしてくる人
それまでは親しくて応援してくれてた人が、私の成功や成長を憎んでキレてくる、そういうことが何度もあった
今日色んな本を読み返したらいろんな発見があった
スーザン・フォワードの「毒になる親」の中に
娘がしだいに大人の女へと近づいてくる。(中略)
それは本来喜ぶべきことなのにもかかわらず、何事も自分の方が優位でないと不安な「心の不健康な親」はそれに脅威を感じるのである。
体の大きくなった子供に嫌味を言い、あざけり、辱めることによって、弱い立場のまま抑えつけておこうとする。
p119
とあって、まさにこれだ!!と思った
私は母親から大人の女になることを許されず、ことあるごとに私の自信を奪うようなことを言われて成長の芽を潰されてきた
他の人もそう
私が成長することが、自立することが、成熟した女になることが気に入らなかった
私に弱い立場で言いなりになる子どものままでいてほしかったんだなと思うと腑に落ちた
そしてそいつら全員への怒りが再びわいてきた
もう一つは加藤諦三の「自分に気づく心理学」という本
こちらには「人に対する敵意を抑圧してるとそれが相手に投影され、自分を攻撃してくるのではないかと感じる」というようなことが書いてあった
「あの人に嫌われてると思うのは、自分がその人を嫌いだから」というのと同じ現象だと思う
それを読んで、私が今町中の知り合いが怖くて誰にも会いたくないのは「私自身が町中の知り合い全員に敵意を持ってるからなのかもしれない」と思ったのだ
私は今住んでる場所は好きだけど、誰と話してもしっくりこなくてずっとモヤモヤしていた
だから10年以上友達や気が合う人を探していた
もちろんごく稀に気の合う人はいて、今思うと本当に気が合う数人とだけつきあっていればそれで十分だったのかもしれない
でもそれだけでは寂しかったから、心のどこかで妥協しながらいろんな人とつきあっていたのだと思う
それでやっぱり合わないなというイライラ、なんで合わないんだという敵意を心の奥底に積み重ねていったのかもしれない
私はこの町の知り合いが本当はそこまで好きじゃなかった
どこかで無理して、自分を偽ってつきあっていた
だから今私に全然友達がいないのは、減ったり消えたりしたわけじゃなくて、自分に嘘がつけなくなっただけなんじゃないかと思う
今日はそういう自分の本心が見えたような気がする