私にはかつて何歳になっても大学生に見られるという呪いがかかっていた
25をすぎても結婚しても30をすぎても「学生さんですか?」と言われた
32歳のとき大学生ばかりのお店でバイトしていたら毎週のように学生なのか聞かれた
見た目が大学生なのに話し方や素振りは30代だからお客さんはみな不思議に思うようだった
私はそれが非常にコンプレックスで、うれしいなんて思わなかった
自分の未熟さが顔に出てしまってるんだと思った
髪型やメイクをどんなに変えても変わらなかった
そのころ大学時代の友人に久しぶりに会って、私の顔の変わらなさに
「そぼろ、大学の頃から時止まってるね」
と驚かれた
若いね、とか、いいね、というニュアンスではなかった
私の変わらなさにひいていた
めちゃくちゃハッとした
その友人は子どもがいて自分の仕事をしていて、年相応の人生を送って年相応の顔つきになっていた
私はろくに社会人経験もなく、精神年齢が大学生のままで止まってるから顔も歳をとらないんだ、と思っていた
が、その後会社に勤めることになったら半年でパッタリ言われなくなった
つまり私が思った通り、社会人としての経験や責任が足りなかったから社会人に見えなかったのだった
あと「主婦に見えない」もよく言われた
結婚して何年もたつのに、結婚前から親しい友人に
「新婚のKちゃんは主婦感出てるのに、そぼろは全く主婦感ないよね…なんでだろう?」
としみじみ言われた
これもグサッときた
あまりに言われるので私の主婦としての自覚が足りないのかと悩んで、家事に力を入れたりしたがやはり変わらなかった
が、離婚して再婚したら言われなくなった
これまた私の予想通り、当時の私は入籍はしていたが精神的には結婚してなかったのである
だから今の私は「◯歳に見えなーい!」とか「◯◯(主婦とかママとか)に見えなーい!」ていうのがそんなに褒め言葉とは思えなくて、年相応でその役割に見えるのが一番だなあと思う
アラフォーになって急に老け込んで落ち込むこともあるけど、うまく歳をとれなかったときよりは全然いい
今日不意に友達の「時止まってるね」という言葉を思い出して、その通りだったなあと思った
なんなら今も止まっている
だから人生がうまく進んでいかないし、就職、結婚、妊娠、と役割の変化を前にするとつまづいてしまうのだ
責任が怖くて逃げてきた自覚はある
今も仕事や子育てや介護が怖い
そんな自分が嫌で、情けなくて、責めまくってた毎日だった
でも今は、そうなってしまった理由がわかってきたから仕方なかったのかもなという気持ちもある
自分が未熟なのがわかっていても、急に時が動かせるわけでもないし、自分を責めたからって成長するわけじゃないし
ただ、そんな私のまわりにいた人たちもある程度時が止まってた人だったと思うんだけど、みんなが病気なわけでも顔が幼いわけでもない
私から見てもこいつヤバいなっていう人が、子どもがいたり自分の会社を持ってたりする
なぜなんだろう?
病気になる人とならない人がいるのは
私が特に重症なだけなんかなあ