以前やった仕事がメディアで取り上げられていて、とてもほめていただいていた
こうしたいと思っていたことが全部伝わっていて、思わず泣いてしまった
私がやりたかった表現はできていたんだなと
一番うれしかったのは、私の作ったものが一緒に組んでいた人と「すごく合っていた」と言われていたことだった
そうなのだ
私の作ったものがすごいから素晴らしいんじゃなくて、「合っている」ことが素晴らしいのだ
私は素晴らしいことの一部なのだ
昔、営業先の人に
「うまい人が集まったらいいものができるわけじゃない。集まった人たちの波長が合ってるかどうかなんだよね」
と言われたことがある
今回のことで本当にそうなんだなあと思った
私は個人で仕事をしていたから「私がすごいものを作れば私が評価される」と思っていたし、そうならなければと思っていた
自分に注目を集めることにばかり必死だった
それよりも「合ってる」ことをする方が私は大事だとわかった
人とだったり、土地とだったり、お店だったり、誰かの部屋だったり
「すごい」って言われるより、「あれ、すごく◯◯と合ってたよ」と言われる方がうれしい
改めて、何かを表現するということはすごいと言われるためにすることではないし他人と競うものでもないと思った
ただ自分と何かが「合ってる」ことがしたいなあと思う
私が主役になったり目立ったりするんじゃなくて、何かの一部になるようなこと