私は昔たくさん本を読んで映画を見ていた
若かったから「本と映画をたくさん知ってるとかっこいい」っていう気持ちもあったけど、純粋に物語を読んだり見たりするのが楽しかった
デヴィッド・リンチとか町田康とか、暗くて悪夢みたいなやつが好きだった
25歳のときうつになって、地元に戻ってから映画が見れなくなって小説が読めなくなった
うつのせいなんだとずっと思っていた
心療内科で「あなたは今現実の刺激に疲れているから物語の刺激を必要としていない」と言われた
そういうものかと思ったけど、それでもネットレンタルを利用して映画が楽しかった頃の自分を取り戻そうともがいていた
でも、私が映画を見る本数は年々減っていった
あるとき、無性に気になるものを見ると「これ、今の自分に必要な話だったんだ」と思うことに気づいた
本当に必要な物語だけがアンテナにひっかかる
逆にそれ以外は見なくていいということにも気づいてしまった
昔めちゃくちゃ面白いと思ったものも、世間で話題になってるものも、今の自分が心から興味があるものでないと見られなくなった
それで去年、ついに映画を見た本数が0になった
どうも体調とは関係なく、私には映画が必要ではなくなったようだった
たぶん私が昔映画が面白かったのは病気の潜伏期間だったからなのだ
自分が病気だと気づいてなかったから、潜在的に死や不安が具現化された物語を求めていたのだと思う
人は本当に苦しいとき、そしてそれに気づいてないとき、無意識に同じ苦しみを持った人や作品に惹きつけられるものなのだと思う
自分の問題が表面化したらそれらは必要なくなってしまった
それで今は寄せ植えが楽しい
パン作りと刺し子にもハマった
とても一般的な主婦の趣味になった
でもそれでいいのだと思う
本と映画に夢中なとき、新しいものを追いかけなくてはという気持ちがあって苦しかった
もうやらなくていいんだあれは、と解放された気分
内に向かって死ぬほど頭を動かしてきた分、これからは外に出て体を動かせたらいいなあと思っている
もう今の私はどうがんばってもカルトムービーは見れない
あの恐ろしい映像や物語に心から感動してた昔がなつかしく、少しうらやましく思う